🌾 ① 御穂津姫命に辿り着くまで
- mihokuni2575
- 7月4日
- 読了時間: 2分

遡ること、約50年前――。
私は、この日本に生を受けました。
小さい頃からどこか淡々としていて、
子供らしくない子供だったように思います。
ただ、とてもやんちゃで、
怪我が絶えない子供でした。
おませで、歌が大好き。
そして、よく食べる子でした(笑)
今思うと、少し笑えるくらい、
幼い頃から波瀾万丈だったように思います。
父が経営していた会社が倒産したのは、
たしか私が5歳くらいの頃。
わけも分からないまま、
「もう保育園のお友達には会えないよ」
そう言われ、いわゆる“夜逃げ”を
経験しました。
そこから、なぜか父の姿を見ることは
少なくなり、母と兄との生活が始まります。
京都・太秦のイチョウ並木を、
3人で手を繋いで歩いた記憶は、
今でもよく思い出します。
その後、何度かの引越しを経て、
私たちは滋賀へ辿り着きました。
その頃には父との離婚も成立し、
母はスナックを経営するようになります。
とても綺麗な人だったので、
男性の出入りも多くありました。
子供心に、
それが嫌で仕方ありませんでした。
でも今思えば、
母も寂しかったのでしょう。
そこから――。
借金。
鬱。
依存。
私は長い間、母に苦しめられ続けます。
いわゆる、“毒親”というものです。
詳しくは割愛しますが、
2年ほど前まで本当に壮絶でした。
もう顔も見たくない。
そんなふうに憎しみ合っていた時期も
ありました。
でも。
それでも、
見捨てることができない私がいました。
そして同時に――。
十数年前から、
再婚していた父も鬱病を患い、
自殺願望を抱えるようになります。
私は父を引き取ることにしました。
とはいえ、一緒に暮らすのではなく、
自宅前にマンションを借りて別に
住んでもらっていました。
昔、バリバリ働いていた父の姿は、
子供心に少し誇らしかった記憶があります。
そんな父と母が2年前
ついに一人暮らしができなくなりました。
父は入退院を繰り返し、
母は70代半ばで認知症を発症。
私はなんとか介護施設を探し
二人を説得して
同じ施設へ入所してもらいました。
やっと――。
やっと救ってあげられた。
やっと親孝行をさせてもらえる。
そんな安堵感で胸がいっぱいになった頃。
私は自分の中でずっと気になっていた
“あること”へ、少しずつ目を
向け始めるようになるのです。



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